射場保昭の功績

《射場保昭の功績》

明月記の記録を誰が世界に知らせたのでしょうか。Popular Astronomy誌に記事を投稿した日本のアマチュア天文家がいました。神戸の射場保昭(いばやすあき)により”Ancient Records of Novae(Strange Stars)”と題して1934年に明月記の客星出現例が紹介されました。ちょうどヨーロッパでは「かに星雲」の正体がわからず、「膨張しているが、遡ると約1000年前に何が起こったのだろう?」と考えられていました。

射場保昭の報告に着目したのが米国のNicholas Ulrich MayallとオランダのJan Hendrik Oortです。この客星はかに星雲を作った超新星爆発であろうと考えました。1942年に”Data Bearing on the Identification of Further Crab Nebula with Aspects”と題する論文をPublication of the Astronomical Society of the Pacificに連名で発表しました。

射場保昭の人物像は最近まで不明でしたが、二男の満家氏がご健在であることが2012年にわかり資料により徐々に解明されています。射場保昭が明月記の客星を知った経緯は竹本修三先生の「明月記をめぐる射場保昭と神田茂・井本進との交わり」(天文月報2015年07月号)の投稿記事に詳しくまとめられているので参照してください。

訂正(H28/01/30):満家氏のご健在については2012年5月8日に竹本修三先生が柴田一成先生に連絡されました。出典「しくれてい」第132号・平成27年4月20日発行

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